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生首に聞いてみろ 生首に聞いてみろ
法月 綸太郎 (2004/09)
角川書店

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 寡作な作家・法月綸太郎の大長編。探偵はもちろん法月綸太郎。石膏像をめぐる親子の絆。構想十五年、帰ってきた綸太郎。
 
 推理小説において、殺人がインパクトであるというならば、この作品のそれは実に見事に決まったと言えるだろう。なんて、評論家っぽく書いてみたり。どうも今回の作品は事件解決に向けての切っ先が鈍い気がします。せっかくうまく決まったインパクトが、その後の単調な調子で立ち消えになってしまったような印象を受けます。推理もねぇ、どうも無駄が多い感じ。でも好きですよ、リンタロー。
 
 短編集「パズル崩壊」の中の「カットアウト」が、抽象表現主義のアクションペインティング画法の代表格ジャクソン・ポロックに大いなる影響を受けて書かれたように、本作品「生首に聞いてみろ」も近代彫刻家ジョージ・シーガルとの出会いが作者にこの構想を与えたであろうことは容易に想像できる。ただ「カットアウト」が美術的な思想を完全に組み込んでいるのに対して、「生首~」はいくらか俗に作られている。俗・・・というのは、わかりやすいということ。あるいは推理小説として、筋が通っている、というより納得しやすく誘導されているってこと。美術思想は多々の芸術の中でもとりわけ掴みにくい。特にモダンアートでは、大きなキャンバスをつなぎ合わせ1色に塗って立てかけたものや、部屋中の壁に絵を描き、その中に鑑賞者を置くことで表現するものなど多種多様なものがある。
 
 例えば、私が高校時代に文化祭で模擬店を出したときのこと。私達は店の看板やポスターを時間かけて作り、あちこちに設置した後、あらためてそれらをぶち壊しにまわった。ポスターにはペンキをドッバァと撒き散らし、破り、切り裂き、汚す。看板はバキバキと折り、踏みつけて靴の痕をつけ、倒れんばかりに立てかける。これを私達は自虐ポスター、自虐看板などと名付けた。こんなことをした原因は、普通の団体の普通のポスターに嫌気がさしていたからであり、自分達の手で作り上げ完成したものをぶち壊すという芸術的衝動にかられたからである。それが、芸術的と言うならばであるけど。完成した物、のさらに上のレベルへ。あるいは美の崩壊か。既成概念の破壊と「反芸術」の中の芸術を、意識下に目指したのであろう。これも言うなればアートであり、芸術である。(いまから振り返れば、青臭すぎて赤面だ。いまも青臭いことに変わりはないけど)。
 
 しかし、それはあくまで製作者の主観であり、しかも後付けの理論だ。第3者から見て納得できるとは思わないし、理論付けたからといって説明がつくものだとはまったく思わない。美術は理論や理屈ではないのだろう。
 
 例えば、ピカソが良いと人は言う。モジリアニがイイとか。じゃあ、なにが良いの、というと、いや、あの絵の温かみが、絵の背景にあるものが、あれはパリ派の。又は、価値観の破壊か、表現の自由か。説明はできるかもしれません。が、みんなが良いって言うから良いのか。誰かえらい人が良いって言ったからか。まあ、究極には個人の主観。言葉では言えない、なにか。それとも、私の勉強不足か。たぶんそうかも。
 
 さて、そこで理論の世界にある推理と美術。相容れないこの2つをどう料理するか。してるか。なんて、そんな大層な物言いをすることもないけど。小説を読む楽しみの1つに、その作品から別の分野へとインスパイアされることが挙げられる。この小説はジョージ・シーガルへの扉を開き、彫刻美術、美術全体への扉を開いている。
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コメント
この記事へのコメント
あの行為にそんな意味があったなんて・・・

確かに何か吹っ切れた感があった
2006/01/29(日) 19:05 | URL | MT #-[ 編集]
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